原発反対に思う。

もう10年以上前の話になるが、大学に入ったのは環境保護について学ぶというのが目的だった。というか無理やりそういう目的にして高校を卒業した。そして大学に入って、結局自分の考えていたような授業にはめぐり合わなかったとしかいいようが無いのだが、反原発の活動の話はいろいろ聞いた。ちゃんとした授業のノートというものは手元に残っていないが、記憶を頼りに書いてみる。間違っていたら突っ込んで欲しいけど、期待はできないので、読む人は鵜呑みにしないでほしい。ただ自分の記憶を確かめようとネットで裏を取ろうとしたけど、結局よく分からなかったので、この内容をちゃんと確かめたいと思った人は僕個人宛にメッセージを頂ければ、なんという先生からこの話を聞いたか送り返します。

ともあれ原発は水を蒸気にしてタービンを回すわけだが、その水をどんどん捨ててしまうわけにもいかないので、循環させて、蒸気になった冷却水を冷やして水に戻すために海水を使う。一次冷却水、二次冷却水と多段になっているようだけど、とにかく最終的には海水は海に流すわけである。この時海域に関して存在している権利の強さが問題になる。

つまり原発の排水を海に流すとき、より強い権利を持っている人が反対したら排水を流すことは出来ない。この権利で一番強かったのが確か漁業権だったと思う。そして環境保護を訴える権利は一番弱い入水権というのに分類されていたと思う。

なので、環境保護を訴える人は漁業者と手を結ぶのである。原子炉の排水も放射能を多少は含む。そんなものを流されないほうが漁業にも悪影響が無くていいですよね、一緒に反対しましょうというわけだ。とはいえもちろん、気がついたら自分が漁業をしている海に排水する原発が出来てた、なんて事はない。原発建設計画の段階で保証金を払い漁業権を放棄させるのだ。

この金額は具体的には知らないが、自分の漁場で漁業をやる事に未来を感じない人が、漁業をやめて人生再スタートをきれるくらいには、払っているはずというより、そこまで値を吊り上げるまではみな反対するだろう。

漁業権というのは、漁業協同組合が持っていて、また、それぞれの漁協が個別に漁場を持っていて、原発など大掛かりなものになると、おそらく複数の漁協に漁業権放棄をさせると思うのだが、問題は漁場によっては、収入が少なく漁業をやめたいという人が大半だったり、他の海域を漁場とする漁協では収入がそこそこあり、環境保護のためにも断固漁業権は放棄しないという考えでまとまったり意見が分かれることだ。

以上の事はもちろん原発に限った話ではなく、ダム建設や諫早湾干拓なども漁業権を放棄させてから、漁業に悪影響がでるような工事が始まるというのは同じだ。ようするに何が起こるか、はじめは保証金を吊り上げるためにみんな反対するが、ある程度の額まで保証金を吊り上げると、良くない漁場をもっている漁協は賛成派に回り、反対派に嫌からせをするのだ。もちろん全員が漁業権放棄をするまでは保証金も支払われないので、嫌がらせも本気である。

環境保護を訴える人は、一生懸命反対派を励ましつつ、なんとか、この事業が全国的に知れ渡り、全国的な反対運動になり、建設計画が断念されるように、努力するわけである。しかし現実は非情であり、何かが起こらなければ、大概の人は動かない。ようするにそれは今回の福島原発の事故のような事である。また諫早湾干拓の時も、干拓が始まりTVが映像を流すようになってから、全国的に反対意見が大きくなったと記憶している。「せめて、あと半年早く反対してくれれば、間に合った」という言葉を聞いたのは確か諫早湾干拓の事だったと思うが、違ったとしても問題の根っこの部分は変わらない。

もちろん何かが起こってから、反対する事を無意味とは言わないが、効率的でない可能性があるという事言いたいのである。TVは環境破壊を訴えるような映像を流しながら、親切に「この問題にはもう間に合わないかもしれませんが、まだ間に合う問題もあります。みなでそれに反対しましょう」などと言ってくれるだろうか。僕は、この「あと半年…」というのを聞いた時、問題は少しでも早く察知し、意見を言うなら少しでも早いほうがいいと痛感した。今では家にTV受信環境も無く、情報収集はもっぱらshimbun(emacs-w3m)に頼っている(サポートはすでに終了しており、個人で変更して使い続けているが)。

もちろん原発は無くせるなら無くしたほうがいいと思っている。しかし現実はそう簡単だろうか。大学の授業では、「原発は麻薬だ」と聞いた。一つ作ると建設中の地方自治体に対する経済効果には大変大きなものがあり、建設が終わるころには「これが無くなったら何もかも元どおりだ」と知事たちは考えるらしい。そんなときに「もう一機作りませんか」と話が来る。漁業権の問題はもう解決しているだろうからハードルも低い。つまり常習性があるのだ。反対するなら、話が立ち上がってすぐに勉強会を始め、平気でつく役人の嘘を徹底的に見抜き、建設計画の少しでも早いうちに「これは無理だ」と相手に思わせなければだめだという話だった。なんとなく言いくるめられて調べて嘘だとわかり次の会合で「嘘だったじゃないか」といい、また新たな嘘で言いくるめられと繰り返しているうちに、ある程度まで行くと計画は決して止められなくなる。

例をあげると、法的拘束力はないが(という話だったと思ったが定かでない)、とにかく原発建設に賛成か反対かを住民投票をしようというところまで話を持っていって実行した自治体があった。自分たちで撮影のカメラも回し、投票所前には投票開始時刻前から大勢の人が集まっていた。なかなか開かない扉に投票所前で苛立ち大声をあげる住民。やっと扉が開き押し合いながら投票所に入っていくと、すぐに放送が流れる。「委任状が過半数集まったので、この投票結果は賛成多数ということに決定しました!」(住民が大騒ぎしていたのでよく聞こえず、先生の説明でそうなのかと思っていた記憶があるが)。すかさず反対派も声をあげる。「反対票を投じるつもりだった人は、人数を数えますので、残ってください!」結果は反対票も過半数。よって委任状を公開せよという要求だったが一向に答える気配が無いとかいう話だった。

また他には原発ではなかったが、よくその先生はTVの討論会などにも招かれ意見を言っていた。その先生は「環境に悪影響を与えないというお話だが、現に漁業者には保証金を払っている。悪影響が無いなら税金の無駄遣いで、違法ではないか」と役人を追い詰める。そこでバトンタッチいかにも「私頭にきています」みたいな反対派が感情論をまくし立てる。感情論などどうとでも返せるので、役人の顔には安どの表情さえあったように思う。そして無意味に時間は流れ討論会は終わり。その時感情論は無意味だとつくづく思った。

まぁとりあえず自分ひとりで出来ることなど、たかが知れていると思い、自分はそんな世界には残らなかった。今は一応会社員なので本名は出さずにいろいろとネットに書いている(先ほどのshimbunから得たいろいろな情報を元にして)。また理論の後ろ盾が欲しいので、『文明の衝突と21世紀の日本』辺りから(この本はトンデモとの事らしいが)始めて、いろいろと読んでいる。